表現規制の歴史とサイトブロッキング
表現規制に繋がりかねないブロッキングをクリエーターは選択するしかないのか
ちばてつや先生の苦悩が垣間見えます
規制反対の活動をされていた山田太郎元議員が活動縮小を発表したことも今後の議論に影響がありそうです
「表現の自由」活動の岐路。山田太郎・前参議院議員の活動縮小について思うこと
規制反対派には打撃だな
程よくまとまっているのでまあいいだろう
有害図書規制の進展を引用すると1950年頃から表現規制が始まっていますね
1950年、『チャタレイ夫人の恋人』(小山書店)をわいせつ文書として押収(チャタレー事件)[5]。
1950年、岡山県議会、「図書による青少年の保護育成に関する条例(青少年保護育成条例)」可決(初の有害図書排除条例)。
1951年、和歌山県、青少年保護育成条例を制定[6]。
1951年、わいせつ出版物の取締り強化、行きすぎ事件続出で出版界代表が陳情[5]。
1952年、香川県、青少年保護育成条例を制定[6]。
1955年、神奈川県、青少年保護育成条例公布、有害図書の販売を規制。各県で条例制定の傾向強まる。
1955年、この頃をピークとして「悪書追放運動」が起こった。「日本子どもを守る会」「母の会連合会」「PTA」による「悪書追放運動」。同運動は、手塚治虫の『鉄腕アトム』を含む漫画を校庭に集めて「焚書」にするといった「魔女狩り」が行われる[7]。
さらに図書選定制度や青少年保護育成法案を提唱、実質的な検閲を要求するまでにいたる。出版社側は連名でこれに反発する。この悪書追放運動は、その後も止むことなく、1950年代の後半まで続いた。
1955年(昭和30年)の悪書追放運動の直接的な所産としては、北海道(1955年)、福岡県(1956年)、大阪府(1956年)に青少年保護育成条例が制定され[6]、有害図書が規制された。
1960年(昭和35年)、宮城県が青少年保護育成条例を制定。その際に青少年条例制定に反対して来た宮城県児童福祉審議会委員長の中川善之助(東北大学法学部教授)が「現に(青少年条例を)制定した県の統計でも、その後少年犯罪[8]はちっとも減っていないではないか」と言い、審議会に辞表を提出した[6]。
この頃から漫画を「悪書」として追放していくのか
焚書とか過激な時代だな
つまり主義主張、ココロの有り様が問われる時代ですね
ただし、本当に有害かというと確かな根拠はなかったようです
そういうことかアホらしい
悪と断じられても容易に反論できないところが魔女狩りと呼ばれる所以ではないでしょうか
有害かどうかという研究の現状は「影響力が低い、相関が見られない」というのが今の見解のようです
何もメリットが見いだせないがデメリットはどうなんだ?
ホラーや実録犯罪系のジャンルが全滅したようです
生き残ったジャンルはスーパーヒーローものだけといっても良い状況だったようです
それだけ厳しい内容だったと。規制内容を引用すると
社会的に尊敬を受けるべき職業への反発や嘲り・蔑視を助長する表現の禁止 (例えば政治家や警察官、教師や牧師など聖職者らをからかったり批判したり、彼らが悪党や黒幕であるといった表現を制限) とか、社会道徳、モラルに反する一切の表現の禁止 (もっぱらキリスト教的道徳に基づく基準)、子供が殺される描写、死ぬ描写の禁止、一度死んだものが生き返ることの禁止、キス、性的シーンの禁止 (服から見える胸の谷間やへそ出しなども消されます)、性的誘惑や強姦は描写はもちろん仄めかすことも禁止、同性愛を連想させる描写の禁止、喫煙、飲酒表現の禁止、両親が離婚した描写の禁止、さらに 「民主主義の否定の禁止」「正義と悪の区別をしっかりつける」「悪者が正義に勝つことを禁じる」 など、視覚的表現だけでなく、物語やメッセージ、内容そのものにも深く踏み込んだ徹底したものでした
規制によって表現の多様性が失われてしまったので内容が面白くなくなってしまったということもあるようです
この辺りはデメリットですね
暴力やホラーに関して自主規制してきた米国コミック界の歴史
創作上の人物が喫煙や飲酒しているだけの話で実際の読者が喫煙や飲酒しているわけではないだろう
子供の人体に影響はないじゃあないか
それをやるなら現実世界でタバコや酒の販売を禁止することが先だろう
その流れなら銃規制もやらなきゃ
現実世界とかけ離れた規制になっているので歪がでてきます
Wikipediaによると合衆国保健教育福祉省から、薬物濫用に関する啓蒙コミックの発刊依頼が来たので作ったら薬物の描写が規制に引っかかったのでコミックコード承認が得られなかった、というエピソードがあります
子供に対して有害なものを教えることもできなくなっているじゃあないか
内容に対して規制すると検閲なので
一律に表現という部分に関して自主規制するわけですが
コレはコレで表現の自由に抵触する訳ですけど
自主規制に対して審査してちゃんと従っているかどうか判定するという形をとるという
日本ではどうなのだ?
テーマ性のある作品のようだがダメな判定基準が明確ではないな
国連が批判する日本の漫画の性表現 「風と木の詩」が扉を開けた
マイノリティーへの迫害だな
有害とされる根拠もないのに存在を抹殺する動機は何なのだろうか?
生理的に嫌という曖昧なもの
個人の感覚にバラツキがあるものが元になっていると思います
また優生学的思想に基づくものがあると思います
劣悪な漫画を「表現の自由」という理由で野放しにしてよいのか~自民党・土屋正忠議員法務委員会質疑書き起こし
ゴルゴ13、課長・島耕作、沈黙の艦隊、ワンピースなどが出てきているがどういう判断基準なのだろうか
どれも世間的には犯罪者や倫理観に乏しい人物の話とも受け取れるがこれが素晴らしい創作活動の基準とすべし、ということなのだろうか
劣悪な表現を保護する必要ないというが
いい表現だけ保護して悪いものは切り捨てるというのであれば
正に優生学的思想になってしまうな
MANGA議連会長ということで取り上げさせてもらいましたが特に個人攻撃する意図はないのでこの辺で
1950年頃の亡霊が未だに跋扈している訳だ
商業的にも打撃のある形となって現実化した件もあります
海賊版サイトの権利侵害防止が目的となっているが
いつか表現規制に使われる可能性が高い
この歴史の流れを見るとちばてつや先生の憂慮も分かるな
ブロッキング反対に傾く訳ですね
山田太郎元議員の話など参考になりますのでよろしかったらご参照ください
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